未来へと続く航海
飛鳥クルーズ就航30周年記念、アニバーサリークルーズレポート

未来へと続く航海 飛鳥クルーズ就航30周年記念、アニバーサリークルーズレポート 
CRUISE STORY
クルーズストーリー
2021.12.27
飛鳥Ⅱが30周年を記念したアニバーサリークルーズを行った。
それは30年の時を振り返る旅であり、
そして未来への期待が募った3日間でもあった。

写真=高橋敦史 文=金丸知好

燦然と輝く、「30」の文字

 

10月27日。朝から曇っていた空から、ポツポツと雨粒が落ち始めた。横浜港は、あっという間に雨に濡れた。いまから15年前の早春、横浜港でデビューを果たした時も冷たい雨が降っていた。大さん橋に停泊する飛鳥Ⅱを見て、ふと、そんなことを思い起こす。

 

しかし、正午を過ぎたあたりから雨は上がり、わずかばかりの陽光も差し始めた。「25年前に飛鳥(初代)が初のワールドクルーズに出航した日も、横浜はこんな天候だったっけ」。どうしても、かつての光景が脳裏をよぎる。それは、これから乗船するのが「30周年アニバーサリークルーズ」だからだろう。

 

キャビンに入ると、きれいに整えられたベッドの上にピンバッジがひとつ置かれていた。そこには郵船クルーズの坂本深社長のメッセージも添えられていた。

 

「お陰様で飛鳥クルーズは30年の節目を迎えることができました。コロナ感染により、長い間継続的な運航が出来ない状況でしたが、本格的にクルーズを再開することができました。(中略)ささやかながらご乗船の記念品をご用意いたしました」

 

ピンバッジの30という数字がゴールドに輝いていた。

CRUISE GALLERY
客室にメッセージとともに置かれていた30周年記念のピンバッジ
ショップでは30周年記念グッズのTシャツなども販売されていた

飛鳥の歩みを思わせる汽笛のやりとり

 

午後5時。「~飛鳥クルーズ就航30周年記念~アニバーサリークルーズ」が出航の時を迎える。新型コロナ感染症拡大防止のため乗客定員をしぼっていたが、クルーズの3日間はすべて平日というスケジュールにも関わらず、300人を超える乗船者が集った。ヘビーリピーターはもちろん、このクルーズが初めての飛鳥Ⅱという乗客も少なくない。

 

落ち着いてきたとはいえコロナ禍の影響のためデッキでは、かつてのようなシャンパンがふるまわれるセイルアウェイ光景はない。だが、出航を知らせる銅鑼が打ち鳴らされると、乗客は思いのままにバンドの陽気な音楽に合わせて踊りだす。まるで、待ちに待ったクルーズのリスタートを祝うかのように。

 

大さん橋をゆっくり離れたそのとき、氷川丸の長音三声の汽笛が横浜港に響いた。それに対して飛鳥Ⅱも同じ汽笛で答える。

 

1960年、氷川丸が運航を停止し、戦前からの日本郵船の客船事業にいったんピリオドが打たれた。その30年後の1990年、「クリスタル・ハーモニー」が誕生。雨のなか横浜大さん橋からホノルルに向けて船出していった。それは日本郵船の客船事業の復活を意味していた。そしてクリスタル・ハーモニーは2006年に飛鳥Ⅱとして日本に帰ってきた。そんな歩みを思い出させる汽笛のやり取りのあと、飛鳥Ⅱはベイブリッジをくぐった。

汽笛のやりとりをした後、しゃぼん玉が上がる中をゆっくりと出航した
CRUISE GALLERY
汽笛のやりとりをした後、しゃぼん玉が上がる中をゆっくりと出航した

パームコートでは30周年クルーズの出航を記念して、メランデ・ピアノ三重奏団特別コンサートが開かれる。ウィーン・ザイフェルト弦楽四重奏団の主宰者ギュンター・ザイフェルトが愛する飛鳥のために作曲した『飛鳥ワルツ』の演奏が始まると、誰からともなく聴衆から手拍子が起こった。軽快な飛鳥ワルツが演奏される中、飛鳥Ⅱはすっかり暗くなった浦賀水道をゆく。

パームコートで開催されたコンサート。『飛鳥ワルツ』には乗客皆が心が躍った
CRUISE GALLERY
パームコートで開催されたコンサート。『飛鳥ワルツ』には乗客皆が心が躍った
関連記事
TOPへ戻る
シェアアイコン