日本発着クルーズの台頭~現在
【クルーズ業界の歴史シリーズ:クルーズ応援談】第6回
第6回目は2000年代に始まる日本発着クルーズの歴史をひもとく。
スタークルーズに始まり、「ダイヤモンド・プリンセス」を擁するプリンセス・クルーズ、
日本海を開拓したコスタクルーズ、そして過去最大17万トンの「MSCベリッシマ」など
個性豊かな面々が日本のクルーズ史に次々と新たなページを加えている。
■2000年に登場した1泊1万円の「激安」日本発着クルーズ
外国クルーズ船社による日本発着定期クルーズといえば、スタークルーズが2000年3月から翌10月まで、「スーパースター・トーラス」と「スーパースター・エーリス」を投入して実施した激安クルーズが強烈な印象が残っている。
1泊当たりたったの1万円。カリブ海やメキシコ沿岸を周遊するカジュアルなクルーズと比べれば、それほど驚くほどの低料金ではなく、実は当たり前の値付けだった。
当時は「クルーズ元年」から10年、日本にも遂に大衆化の波が押し寄せてきたかと手をたたいて喜んだ。だが、販売戦略や配船計画の失敗で評判をすっかり落としたスタークルーズは、あっという間に日本から撤退してしまった。
スタークルーズが提供した船内プロダクトに特段の問題があったようには思えなかったが、日本周辺の海象や瀬戸内海通航、カジノなどに関わる日本の法律や旅行業界の商習慣に、必ずしも通じていなかったことなどが、日本発着クルーズを短命に終わらせた理由に挙げられる。
さらにカボタージュ規制は、外国クルーズ客船(外国籍船)には、厚くて高い壁だった。カボタージュ規制とは、人・物を国内輸送できるのは自国籍の船に限られるという規制で、安全保障上、多くの国で取り入れているものだ。外国船籍の船が日本人を乗せて日本国内の港を周遊する場合、この規制をクリアするために、必ず外国の港に最低1回は寄港しなければならない。
横浜や東京発着にすれば背後には首都圏の大きなマーケットがあるので、集客は期待できる。ただし、クルーズ中に必ず海外の港にいったん立ち寄らなければならないとなると別の問題が出てくる。横浜港や東京港からロシア、韓国、台湾といった外国の港は遠く、そこにワンタッチすると旅程はどうしても長くなってしまうのだ。
休暇を取りにくい日本では週末を使った1泊から3泊前後のクルーズが人気で、それ以上の日数で安定的な集客が見込めるのはゴールデンウイークや夏休み、年末などの時期に限られた。神戸発着で釜山寄港を基本にショートクルーズを組まざるを得なかったスタークルーズは、顧客に飽きられないコース設定にも苦労した。
スタークルーズがこうして試行錯誤して撤退したのち、外国クルーズ船社による本格的な日本発着クルーズの挑戦は、さらに10年以上待たなければならなかった。
■プレミアムなサービスで日本に上陸したプリンセス・クルーズ
プレミアムクラスの世界的ブランド、プリンセス・クルーズの「日本上陸」の発表は、当時、日本マーケットを大きく揺さぶった。2013年の「サン・プリンセス」(7万7000トン)、2014年の「ダイヤモンド・プリンセス」(11万5000トン)による横浜発着クルーズの開始は、1989年の「クルーズ元年」に匹敵する画期的な出来事だった。不幸にもコロナ禍でダイヤモンド・プリンセスは大きなダメージを負ったが、日本マーケットを現在まで押し上げてきた功績は大きい。
サン・プリンセスの日本発着は2013年4月から7月にかけて横浜発着8航海、神戸発横浜I航海が行われた。最低料金の内側客室は1泊1万4000円前後で売り出された。「北海道周遊とサハリン9泊10日」(横浜~釧路~コルサコフ~小樽~函館~青森~横浜)は13万4000円(内側)~61万4000円(スイート)とエコノミーな料金設定を強く印象付けた。日本語スタッフ50人が乗船し、メニュー、船内新聞、各種案内書、船内アナウンス、カルチャー教室は日本語で対応。スシバーも設けるなど日本人向けに徹底したプロダクトを用意した。
2014年、追加配船されたダイヤモンド・プリンセスは横浜港を拠点に19航海、サン・プリンセスは21航海を実施し、日本発着クルーズでは他の外国クルーズ船社と大きく水を開けた。
ダイヤモンド・プリンセスの料金も魅力的だった。たとえば、「世界遺産の地・済州島と台湾周遊9泊10日」(横浜~済州島~花蓮~高雄~基隆~横浜)は13万9000円(内側)~79万4000円(グランドスイート)で販売。サン・プリンセスよりやや高めの設定ではあったが、日本マーケットを刺激するに十分な料金だった。
■インバウンド振興にも貢献、日本船との共存したプリンセスの「黒船来航」
サン・プリンセスはその後日本から離脱。プリンセスはダイヤモンドの運航に集中することになったが、ここでもカボタージュ規制の壁が立ちはだかった。1週間以上の比較的長いクルーズを設定せざるを得ず、ショートクルーズを好む日本マーケットからの集客には苦労したようだ。
しかし、一方で欧米、豪州などからの訪日外国人客に人気となり、思わぬところでインバウンド振興に貢献することになった。多い時には半分以上が外国人乗客で占められるクルーズも出てきた。ブリンセスは2018年と2019年には、一年を通して日本発着を実施する戦略に転換するなど、攻めの姿勢を崩さなかった。コロナ禍で2021年、2020年に予定していた航海はすべて中止となったが、2023年春より、ついに日本発着クルーズを再開した。
プリンセスの日本発着クルーズは当時、「黒船来航」に例えられた。しかし、結果的には客層の奪い合いにはならず、相乗効果がもたらされ、日本船との共存、すみ分けが進んだ。
プリンセスの大々的なメディア戦略はレジャーとしてのクルーズの認知度を高め、大衆マーケットに訴求した。2010年頃から大手旅行会社が中心となり、ロイヤルカリビアンインターナショナルやコスタクルーズなどの外国クルーズ客船をチャーターし、日本発着クルーズを積極的に実施するようになっていたことも、日本のクルーズマーケットを押し上げた。
■海の山手線!? 各港で乗り降りできるインターポーティングに挑んだコスタ
外国船社による日本発着クルーズといえばコスタクルーズの存在も見逃せない。コスタは中国・アジアマーケットにいち早く進出していたメジャー船社で、2010年に5万総トン超級の「コスタ ロマンチカ」で9航海、「コスタ クラシカ」で2航海を実施。さらに、クラシカは2011年に20航海、ビクトリアは2012年に13航海した。コスタはプリンセスに先行して日本発着の定期的な日本周遊クルーズを展開していたことになる。
コスタが特に注目されたのは、2016年7月から9月にかけて「コスタビクトリア」を投入して実施した日本海周遊クルーズ(10航海計画)だった。博多~京都舞鶴~金沢~釜山をめぐる5泊6日のクルーズで、山手線のようにどこの寄港地でも乗客を入れ替えられるインターポーティングを導入した。各エリアからの集客を狙ったもので、この方式は後のプリンセスの日本発着クルーズにも影響を与えた。
通常の周遊型クルーズはホームポート(発着拠点港)で、クルーズを終えた客とこれからクルーズに参加する客を入れ替えるが、インターポーティングを導入すれば、どこも出発港であり到着港ということになる。カボタージュ規制をクリアしながらのいわば変化球だった。地政学的な問題や首都圏からのアクセス、さらに顧客のリクエストに応えるためのキャビンコントロール(客室の確保)、港背後地からの集客などがネックとなり、定期クルーズとして長くは続かなかった。
しかし、インターポーティングをフックに、フライ&クルーズ、ドラブ&クルーズ、レール&クルーズの可能性にも一定の感触を得られたことは、将来につながる大きな試金石となった。コスタは5万7000総トン型の「コスタ ネオロマンチカ」を日本発着クルーズに配船、2017年から2018年にかけて通年クルーズを展開した。コースの豊富化が難しい冬場の対応は悩ましいところではあったようだ。そしてコロナ禍を経て、いよいよコスタの日本発着も復活かというときに撤退となったのは残念であった。
■コロナ禍を経て、日本発着の第三幕が開いた
国土交通省の統計によると、2013年の日本人のクルーズ利用者数は23万8000人で過去最高(当時)を記録。2017年には31万5000人、2018年32万1000人、2019年35万7000人と順調に増加し続けていた。しかし、コロナ禍でほとんどのクルーズ客船が運航を取りやめたことから2020年は2万8000人にまで減ってしまった。
ただしコロナ禍を経て日本発着クルーズが再開されて半年、先のダイヤモンド・プリンセスもMSCクルーズのの大型客船「MSCベリッシマ」も多くの日本人乗客を乗せ、順調に運航を続けている。日本に就航した客船の中で過去最大サイズである17万トン、乗客定員5000人以上を誇るMSCベリッシマは、最新鋭の大型客船の楽しみを新たに日本にもたらした。
さらに2024年以降も多くの船社が日本発着クルーズの実施を表明している。その顔触れはラグジュアリー船社リージェントセブンシーズクルーズ、シルバーシークルーズ、スタイリッシュなプレミアム船を運航するセレスティアルクルーズなど多彩だ。
30万人はほんの通過点に過ぎなかったと振り返る時期が必ず来るだろう。外国クルーズ船社のさらなる参入も噂される。「クルーズ元年」「黒船上陸」に続く第三幕が始まっている。