懐かしの80’sで夜遅くまで盛り上がる
飛鳥Ⅱの新潮流・ミュージッククルーズ
グラミー賞受賞のシンガー&トランペッター
スキップ・マーティンが飛鳥Ⅱに初登場
ミラーレンズのサングラスにカラフルなシャツ姿。1970〜80年代に青春の日々を過ごした誰もが「あの」と冠をつけるであろうシンガー&トランペッターのスキップ・マーティンさん。彼ひとりが乗り込んだだけで、船内の雰囲気が一変するのがわかったほどの圧倒的な存在感に、まず驚いた。
そのうえ陽気で誰にも気さく。居合わせたたくさんの乗客と笑顔でカメラに収まり、セイルアウェイ・パーティーで演奏する飛鳥Ⅱの専属ミュージシャンたちと握手を交わし、前のめりに突撃した我々取材班にもポーズをサービスしてくれる。これ以上ないほどの楽しいクルーズの予感に包まれながら、快晴の横浜港を出港した。
マーティンさんといえば、80年代を代表する2つのビッグ・グループ Kool & The Gang、The Dazz Bandのメインボーカルとして活躍した人で、代表曲『Celebration』は、同時代を過ごした大半の人が「曲がかかるだけで思わず体が動いちゃう」のは無論、音楽に疎い人ですら「この曲知ってる!!」と高揚させてしまう名曲だ。
そんなアーティストをメインゲストに据えた航海は、テーマクルーズの最たるもの。海を見渡す非日常の空間が、自分の好きなテーマ一色に染まる。期待と高揚が乗客の表情からも見て取れた。
船内ではサイン会やグッズの販売なども行われ、熱心なファンが列を作る。そして圧巻の最高潮はやはり2日目の夜のメインショー『スキップ・マーティン スペシャルステージ on 飛鳥Ⅱ』。
満員のギャラクシーラウンジにさっそうと現れたマーティンさんは額に汗して迫力のトランペットを演奏し、パワフルでありながらもクリアで、時にはどこか哀愁も感じさせる変幻自在の美声を存分に聞かせてくれた。
『Celebration』を含む数々の名曲に加え、アンコールで演奏されたのは沖縄について歌った『Song of SHURI -SYURI NO UTA-』。マーティンさんがここまで親日家なのは、実は長年の活動で毎年のようにジャパンツアーで来日していたからで、船内での人気ぶりにも合点が行った。
余韻も覚めやらぬままにクラブ2100のディスコナイトに足を運ぶ人の何と多かったことか。そのあたりはもう1本のクルーズの様子で紹介しよう。
熱気に満ちた80’sディスコは
誰もが参加できる青春の思い出
スキップ・マーティンさんのクルーズと合わせてレポートしたいもう一本が、昨年 12月に催行された『Dynasty 80’s LIVE and MUSIC ON ASUKA II』だ。
双方に共通する大きな特徴は、テーマが80年代ディスコだということ。乗船して5デッキ・レセプション前に入った瞬間から、アップテンポの曲とリズミカルな低音に体全体が包まれる。
アスカプラザの大きなLED画面の前にはブースが設置され、ヘッドフォンを斜め掛けして片手でコントローラーを操るDJの姿が目に入る。「あれ? こんな飛鳥Ⅱって今までにあったかな」と驚くような、いつもの落ち着いた優雅さとはひと味違う、明るくノリのいい雰囲気に満ちている。例えて言えば、普段のよさに、フロリダ発着船の華やかさ・楽しさを加えたようなイメージだろうか。
DJ OSSHYは、とりわけ当時のディスコ界を知る人にとって親しさいっぱいのDJ。80年代ディスコの伝道師であり、MCとミキシングを同時にこなすディスコDJのスペシャリストだ。
船上で彼が手掛けた今回の「Dynasty Tokyo Surfer’s Night」はおしゃれな紳士・淑女の社交ディスコパーティーだと銘打たれていた。そのあたり、昼間のトークショーでの彼の言葉がおもしろい。
「僕が標榜するのは『老若男女、誰でも踊れるディスコ』です。けれどディスコはもともと不良カルチャーがベースゆえ、僕が『親子でディスコ』とか言い始めた時は業界内でのバッシングも多かった。高齢者や子どもを不良文化に巻き込むなと(笑)」。
けれど玄人のみならず、にわかファンも大切なのはサッカーや野球などとも同じ。そうした幅広い方々が文化を創るんです、とも。
その笑顔が物語るとおり、間口が広く誰でもウェルカムなディスコを体現するのが彼であり、それが飛鳥Ⅱにやってきた。ディスコは当初こそやんちゃな若者の遊び場だったけれど、今では「大人の社交場」へと変化している。