音楽と春の美食を楽しむ
洋上のフィルハーモニークルーズ
この春、「飛鳥Ⅱ」が新日本フィルハーモニー交響楽団メンバーを招き、「春の調べ 新日本フィルハーモニークルーズ」を行った。
新日本フィルが「飛鳥Ⅱ」の船内で演奏を披露するのは、今回が初めてだ。これはきっと特別な旅になりそうだと予感したとおり、大変に思い出深いクルーズとなった。
横浜港から乗船するとき、週末を含む2泊3日の行程のためか、若い世代の乗客が心なしか多く目に入った。チェックインすると、5デッキメインデッキのピアノバーで、新日本フィルのメンバーがさっそく演奏をしていた。乗船時間に合わせて、ウェルカムミュージックを披露しているのだ。モーツァルトの室内楽曲などが、弦楽五重奏と木管五重奏で奏でられ、バイオリンやヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルンの美しく優雅な音色が、高い吹き抜けの空間いっぱいに満ちていた。アコースティックが良いのか、包まれるような音の響きが大変に心地よい。出航する前から船内がクラシックの優雅な生演奏に包まれ、すでに、いつものクルーズとは違うことが感じられた。
新日本フィルは、2024年2月に亡くなった指揮者の小澤征爾氏が故山本直純氏とともに1972年に創立した、日本を代表するオーケストラの一つだ。東京墨田区のすみだトリフォニーホールを本拠地として、小澤氏をはじめ、久石譲氏や海外の著名な人々が歴代の指揮者を務め、日本およびヨーロッパ、中国など、数々の場所での名演奏で成功を収めてきた。2023年からは佐渡裕氏が音楽監督を務めている。
そんな新日本フィルの演奏を間近で聴けるのだから、ワクワクしないはずがない。今回のクルーズでは、弦楽奏者12名、管楽器奏者5名の計17名が乗船して演奏を披露するという。しかも、ギャラクシーラウンジでのメインコンサートのほか、11デッキパームコートでのラウンジコンサートが3回行われる。ウエルカム演奏を含め、2日間に5回も演奏を鑑賞できるのは、今回のクルーズならではだ。
船は定刻どおりに出航した。夕方、パームコートで夜のラウンジコンサートに備えた新日本フィルのリハーサル演奏が行われた。公開で行われたため、近くにいた乗客は、ソファ席でくつろぎながら、聞こえてくる音楽を楽しむことができた。なんとすてきな光景だろうか。
そして夜、1度目のラウンジコンサートが行われた。演目はモーツァルトの軽快な「ディヴェルティメントKV.136」から始まった。祝賀や社交の場などに演奏されることが多く「嬉遊曲」とも呼ばれるそう。バイオリン、ヴィオラ、チェロが華やかに奏でる音色は、春の花びらの重なりのようにも感じられ、大変に優雅で美しい。
次は「弦楽四重奏第17番KV.458『狩』」の第一楽章弦楽四重奏。「狩」というタイトルは後年ついたものであるなど、モーツァルトに関する逸話のお話なども挟んだ後、クラリネット奏者が加わり、「五重奏曲KV.581」の第一楽章が演奏された。すぐ間近で聞く楽器の音色は本当に美しく、心身の細胞に染みわたっていくような感覚さえ覚えた。フロアに用意された椅子は全て満席になり、立ち見の方がいたほどだ。熱い拍手とともに約30分間のラウンジコンサートが終了し、初日から美しい音楽に包まれた幸せな余韻に浸りながら、客室に戻って眠りについた。
翌日、朝食の後に、新日本フィルのコントラバス奏者、城満太郎さんにお話を聞いた。城さんは前日、メインデッキでウェルカムミュージックを演奏した。演奏者同士の距離感が近くてお互いの音がよく聞こえ、音でのコミュニケーションをとりやすく、演奏しやすかったとのことだ。演奏者からすると、そんな時が小編成の演奏会の楽しさであり、醍醐味とのこと。
新日本フィルが今回演奏する曲については、「どれもメロディーがキャッチーで、どこかで聴いたことあると、皆さんが思う曲だと思います」と城さん。聴きどころをたずねると、ビゼーの「カルメン組曲」と「アルルの女組曲」とのこと。もともとオーケストラ70人で演奏する曲だが、今回用に新日本フィルのメンバーがアレンジしたバージョンを演奏するという。「このクルーズのためだけの演奏なので、まさに一期一会です。お客さまが聴いて、あれ?と思ってくれたらうれしいですね」とのことで、楽しみが高まった。
今回、初めて飛鳥Ⅱに乗船した城さんは、「クルーズ船は乗った瞬間から余暇を楽しむことができるからいいですね」と語る。都心からも近い横浜港で乗船した後は自分で移動する必要がなく、すぐに余暇が始まるからだそう。確かに、それはクルーズ旅の大きな魅力の一つだろう。また、飛鳥Ⅱの船内に、音楽にちなむアートオブジェが多いことが目についたそう。パームコートに置かれた、ハープを奏でる女性の像について、「あのハープには足元にペダルがついているので、比較的年代が新しいものですね」と城さん。さすが音楽のプロフェッショナル!と感心した。
城さんは2014年に、病から復帰した当時の小澤征爾氏の指揮の下で、バルトークの楽曲を演奏した経験があるそうだ。「小澤さんは『新日本フィルは俺のオケ』という感じで、新日本フィルのほうも『うちの小澤征爾』という意識があり、お互い心理的な距離が近い気がしました。みんなが彼を信頼していて、小澤さんの音楽のスタイルが浸透していましたね」と思い出を語ってくれた。