国際都市・神戸港をたどる知のぜいたく旅
海と山にはさまれた土地
良港が拓いた国際都市
神戸港はなぜ良港なのか。田辺眞人先生の答えは明快だ。
「神戸は海があって山がある。高低差が大きく、その分、水深のある港ができるわけです」
神戸の魅力を知るには港だけではなく、山も見ておく必要がある。六甲山や神戸市立森林植物園をめぐる。ちなみにこの周辺は、瀬戸内海国立公園に指定されている。
そして、神戸といえば、夜景をはずすわけにはいかない。ということで展望広場「掬星台」から神戸の夜景を堪能する。
「水深の深い港は例えばリオデジャネイロ、ウェリントン(ニュージーランド)、香港、日本では長崎、函館そして神戸。良港には山から見下ろせるすばらしい夜景が必ずあります」という先生の言葉に思わず納得する。そして有馬温泉へ。ここで汗を流して、神戸の中心街へ。
海と山にはさまれた良港である神戸だが、多くの船が行き交う国際都市はいかにして育まれたのだろうか。
「江戸時代まで、港といえば兵庫津でした。しかし開国で外国人が住むようになると、兵庫から離れた神戸を居留地にし、それが発展したんです」
東遊園地、神戸市立博物館、旧神戸居留地、そして南京町。田辺先生の案内を聞きながら歩く三宮〜元町はエピソードがいっぱいで、神戸の近代史を楽しくたどれた。
1200年の歴史を有する港町、大輪田・兵庫津は、現在の神戸市営地下鉄海岸線「中央市場前」駅周辺をさす。そこには田辺先生が名誉館長を務める「兵庫県立兵庫津ミュージアム」があり、兵庫津の歩みについて詳しく知ることができる。
「平安末期、平清盛の大輪田大改修で、港町としての繁栄が始まりました。ここには清盛塚や清盛とゆかりの深い能福寺もあります。それから日本三大仏に数えられた兵庫大仏や、一遍上人ゆかりの真光寺も見ておきたいですね」
最後に訪れたのは神戸港。先生は海を望んで瀬戸内海に言及し、神戸の魅力を締めくくった。
「神戸のあたりは波も風も一番穏やかです。だから、昔から人や物が行き来する。瀬戸内が育んだ歴史文化や経済などを振り返るのは大事なことだと思います」

田辺眞人先生
1947年神戸生まれ。県立兵庫津ミュージアム名誉館長・兵庫県阪神シニアカレッジ学長・園田学園女子大学名誉教授。地域史研究で兵庫県文化賞・神戸市文化賞・放送文化基金賞を受賞。宝塚市教育委員やニュージーランド学会副会長もつとめた。著書に『神戸の伝説』『目で見る神戸の100年』『神戸かいわいを歩く』など。
神戸港をやさしく包む緑の山脈
船が神戸に入港するとき、目の前に広がる六甲の緑の山脈に目を奪われた人も多いだろう。その六甲は神戸という良港を形成するのに、なくてはならない存在であった。「六甲山の開発と景観保護に尽力したのは、幕末から明治にかけて来日したグルームら英国人でした」。ここにも国際都市・神戸の一端がうかがえる。


弘法大師大願成就のお寺
再度山(ふたたびさん)の山腹付近に建つ。奈良時代中期の768年に和気清麻呂(わけのきよまろ)が開いた観音霊場を弘法大師(空海)が寺とした。空海が唐留学の前後、二度登ったことから再度山と伝えられる。


世界の紅葉も楽しめる植物園
六甲山はかつて大部分がはげ山だった。明治からの緑化のあと、紀元2600年を記念して1940年に創設された、総面積142.6ヘクタールの広大な樹木植物園。神戸きっての紅葉の名所としても知られる。神戸市と姉妹都市提携を結んでいるシアトル(米国)、天津(中国)、ブリスベン(豪州)、リガ(ラトビア)各都市の「国際親善の森」では、海外の紅葉も楽しめる。


安産祈願の名刹
646年、インド僧・法道仙人により開山された古刹。弘法大師が唐から帰朝した際に奉安した、釈迦の生母・摩耶夫人の像を安置。山は摩耶山と呼ばれ、寺はそれゆえ安産腹帯の発祥霊場として知られ、安産祈願の参拝者が絶えない。


旧居留地から南京町へ
歩いて感じる海外からの風
世界でも有数の名港・神戸。その成り立ちを知るには、「三宮からフラワーロードを南下し、観光地としても名高い旧居留地と南京町界隈を歩くのがいい」という。
江戸時代まで瀬戸内海航路の要港として繁栄した兵庫津は、幕末に欧米諸国の要請で開港された。
しかし、「幕府は兵庫の町に外国人が来住して紛争を起こすことをきらい、兵庫から湊川・宇治川・鯉川という3つの川を渡った東に居留地を建設することにした。
そしてこのエリアは「欧米文明が流入するハイカラなエリアとなり、国際都市・神戸の起源となった」。現在、旧居留地には国重文の十五番館、商船三井ビルなど当時の面影を残す建物が並ぶ。
居留地の西側には、清国人が住み着いた。それが現在の南京町のルーツとなる。有数の観光エリアを、神戸の歩みに思いをはせながら散策するのも一興だろう。
国際都市・神戸の源流
外国人居留地とは、「日本と通商条約を結んでいた国の人々が、居住や営業を許可された一定の区域です」。英国人土木技師J.W. ハートは神戸外国人居留地の管理・運営を行う居留地行事局の顧問技師として、都市整備を進めていった。居留地は1899年に日本に返還されるが、その痕跡は現在もそこかしこに見られます」。




居留地に隣接する華僑街
1868年の神戸開港により、上海、香港、長崎などから神戸にやってきた清国人華僑が住み着いたエリアを指す。少し足を延ばしたところにある神戸華僑歴史博物館には、神戸華僑の150年あまりの歩みを物語る、数多くの資料が並ぶ。「神戸華僑と関わりの深かった孫文直筆の書、神戸出身の作家・陳舜臣の直筆の原稿なども見られ、一見の価値あり」。


見ごたえ充分のコレクション
1935年に横浜正金銀行神戸支店として建設され、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用された建物を利用。国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈群をはじめとする考古・歴史資料、国重文のザビエル像など南蛮紅毛美術や開花錦絵を中心とした美術資料、そして全国一の質と量を誇る古地図資料を所蔵する。約7万点の膨大な館蔵品があり、見ごたえ充分だ。

