客船評論家ダグラス・ワードのクルーズ・ウォッチ
昨今のクルーズ業界を俯瞰し、毎回テーマに沿って、分析&解説していきます。
今号は、新しいものが好きな人には気になるこのテーマ。
【今号のテーマ】処女航海
――最も記憶に残っている処女航海はどの客船ですか。
何といっても「クイーン・エリザベス2」ですね。正確にいえば、この船は普通の「客船」ではなく「オーシャンライナー」でした。英国と米国間を定期航路にしていましたから。エリザベスという名の第2船です。もう存在しませんが、グラスゴー(スコットランド)のジョンブラウン造船所で建造され、ここから乗船した私は貴重な経験をしました。
忘れられないのは世界的な名船だからではなく、最初の航海に問題があったからです。1968年12月に完成して処女航海前にカナリア諸島へ行くクリスマス・チャリティクルーズが開催されました。
乗客定員は約1900人でしたがこの時の乗客は600人程度だったと記憶しています。
そしてエンジンの不調が発見され、母港サザンプトンまで減速しながらやっとのことで帰港したのです。
翌年1969年1月15日が本来の処女航海でしたが、結局5月2日にサザンプトンからニューヨークへ「船出」しました。困難を乗り越えた後だったからこそ、入港時に大小さまざま約600隻もの船舶から歓迎を受けた時は、胸が熱くなる思いでしたよ。
――処女航海の魅力と困難な点についておしえて下さい。
誰でも新しいものに興味をもちますし、早くその体験をしてみたいでしょう。たった一度だけ、というプレミア感も多くの乗客を魅了しますね。
実際に乗船し初めての乗客として客室を使うことを想像してみて下さい。まっさらのシーツや洗面台などは快適。レストランではナイフやフォークもピカピカで輝いてますし、クルーの制服も同じです。
ファンのお目当ては、処女航海の記念グッズでしょう。
ロゴ入りワインボトルの栓やモデルシップなど船社により異なるギフトが用意されているものです。すべてが初めてですから、船内イベントやショータイムも特別なコメントがあったり、ハプニングも。ショーに出演するダンサーののビザが間に合わず、上演できないということもありました。
寄港地も処女航海では全てが初寄港になりますよ。港によっては、入港日朝に岸壁や船内でセレモニーが開催されます。花束をもらう乗客代表になれたら一生の思い出です。
さて次は困難な点について。処女航海は避けた方がいい、と聞いたことがあるかもしれません。なぜなら船が完璧にできているとは限らないから。施設が未完成。クルーの訓練不足。レストランのサービスが遅い。など数えたらキリがありません。特に新規参入の船社が第一船を出す時は顕著です。
私は客船の格付けを仕事にしていますが、処女航海で査定することはまずありません。フェアではありませんので。
どの客船でも第一航海は大変。しかし落ち着けば、その船の良いサービスが現われます。よって私は少なくても就航後数か月してから乗船することにしています。
ところが客船ファンは逆にハプニングを楽しんでいます。このために乗船したんだ!とでもいうように、出航の遅れや船内の出来事を「思い出」にしているのです。クルーズが正常に稼働するには経験と努力が必要というもの。処女航海を経験するとわかります。
――近年「処女航海シーズン」という言葉をよく聞きますが。
はい。本来なら処女航海といえばたった一回だけですが、最近は増えてますね(笑)。
これは単に営業目的で「メイドンMaiden」や「イノーギュアルinaugural」を付けて注目を集めようとしているんです。たとえば地中海の処女航海シーズンやパナマ運河処女通過クルーズ、メイドン・ワールドクルーズなど。
確かに特別な言葉が付くと記念になりますし事実ですから乗船すると楽しいでしょう。著名人が乗船して講演したり、エンターテイメントも豪華に組まれていたりします。近年命名式にリピーターなど乗客を招待する船社が増えました。新造船はふつう女性が名付け親(ゴッドマザー)になり、命名式を行うのが慣習です。船首にシャンペンのボトルを打ち付けて、洗礼します。
通常は処女航海直前に関係者のみで行うのですが、これを船内で行い、処女航海を予約した乗客も立ち会えるというわけです。2015年ベルゲン港(ノルウェー)で行われた「バイキング・スター」がその一例です。
――2022年は新造船就航が多くなりそうですね。
コロナ禍で遅れていたので、2022年は処女航海も20隻以上のラッシュになるでしょう。
処女航海は実際に乗客が乗りますが、乗客定員を減らしている船社がまだ多いです。
新規参入となる船社ザ・リッツカールトン・ヨットコレクションのエブリマ(2万4713トン)は最も注目されるはず。またMSCクルーズは20万トン級の第1船「MSCワールドエウローパ」が就航予定ですし、ディズニークルーズはLNG燃料第1船「ディズニー・ウィッシュ」、キュナード・ラインは12年ぶりの新造船「クイーン・アン」が期待されています。
冒険する気持ちなら処女航海はおすすめです。そうでなければ、私のように少し待ってから新造船をお楽しみ下さい!
ダグラス・ワード
Douglas Ward
客船評論家。乗船歴55年。2021年末出版の「リバー・クルージング(欧州&北米版)」(インサイト・ガイド刊)の著者。乗船と執筆を精力的にこなす。音楽や庭仕事が趣味。刺身とジントニックの愛好者。英国在住。
★2021年末に出版された「リバー・クルージング(欧州&北米版)」(インサイト・ガイド刊、英語版)。インターネット通販のアマゾンなどで購入できます。
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